中華圏への移民を目指すブログ

中華圏への移民を目指す女のブログです、

周囲の人たち

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日本社会のど真ん中で生きている。

 

毎日毎日をなんとかやり過ごして、

恋愛趣味レーションゲームのように毎日上司や先輩の頭の上に、彼らが望む言葉をいくつかの選択肢から選ぶ。

 

私はうまくやれている。

悲しいほどにうまくやれているのだ。

 

「〇〇さんかっこいいっすからね!」

 

「早くチームのみんなの力になって戦力になりたいです」

 

「簡単な作業ですからこれ私一人でもやれますんでお子さんのお迎え行かれてくださいよー」

 

うまくやれてる。

 

うまくやれてる。

 

でも、何もかもが歪んでいる。

 

今の私は、守るべき幸せや、ふいに息をつく瞬間の全てがない。

 

洗面器の中に顔面を突っ込まれたまま溺死を待たされているような状態が一年近く続いている。

 

毎日が不幸せで苦しい。

 

それでも私は毎日毎日を生きている。

 

周囲の人はこの日々を愛しているように見える。

 

愛する家族がいるから?

 

恋人がいつでも会える距離にいるから?

 

このクソみたいな会社の理念に共感できているから?

 

私はいつでも出口を探している。

 

一緒に愚痴を言う相手に、実はなんの同情も思いも抱かない。

 

現状に毒ついてそれでも心地の良い牢獄に繋がれている。

それを許容してなんとなく続けていく体力や根性を私は持ち合わせていない。

 

愛する人も。

夢も。

生きる意味も。

 

全てが海の向こうにあって私の手から離れていってしまった。

 

周囲の人は優しい。

 

私は彼らのことが嫌いではない。

 

でも私はとてもとても孤独なのだ。

 

これだけ人間がいるのに誰一人として私の苦悩を知らないし、知ったとしても理解することもできないだろう。

 

満ち満ちた悲しみはもうすでに首のところまでみちてきて、私を窒息死させようとしている。

 

明日も会社に行く。

 

きっとクソみたいな1日だ。

 

やり過ごそう。

 

 

 

全力疾走できる瞬間を待ち侘びて。

 

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この三連休は熊本に帰った。

 

我慢の三連休なんて知るかと思った。

 

国境ひとつ開けられない。

何ひとつお仕事のできない日本国のために何かを頑張る気が一ミリも湧いてこなかった。

 

だから、ささやかな抵抗で熊本に帰った。

 

金曜日の新幹線。

ケチって時間変更の効かないチケットを買ったのが運の尽き。

 

仕事の兼ね合いで、さらに地下鉄間違えて私が新大阪に着いたのは、新幹線が出るまでぽっきり4分の時間だった。

 

せめて改札をくぐれば何とかなる。

改札さえくぐれば、時間切の切符も有耶無耶にさっさと乗り込んでしまえる。

 

そう思い新幹線の改札めがけて走ったものの、

そこに着いた時まだ残り1分の時間が残っていた。

 

どうしてそうしようと思ったのはわからなくても、28番乗り場から、端っこの21番乗り場に駆けこもうとすると、圧倒的な階段が聳え立っていた。

 

スーツケースにリュックサックに仕事の鞄とお土産の紙袋。

 

残り30秒。

 

その時、スーツケースを抱え上げ私は一目散に階段を駆け上がった。

 

新幹線の閉まりかけるドアにスーツケースを蹴り入れて飛び込んだ私は、その時バックパックひとつで中国大陸を駆け抜けて全力疾走していた自分の姿の後ろ姿を捕まえた気がしたのだ。

 

新幹線のドア越しに倒れ込み、ゆっくり呼吸をする時、私は一瞬だけこの数ヶ月の鬱屈とした全てから解放されていたのだ。

 

全力疾走。

絶体絶命の中で走るあの瞬間。

 

どうして私は、あんなにも中国を旅することをやめられなかったのかと考えたら多分答えはここにあったのだと思う。

 

何もかも忘れて目の前のピンチに向けて駆け抜ける緊張感とスピード感。

 

駆け抜けて行く瞬間は何よりも濃厚だ。

 

全力疾走できることが少なくなった。

 

でも人生には全力疾走することが必要だ。

 

だから、私は全力疾走していたくて、その瞬間のためだけに狂ったように旅に出ていたのだと思う。

 

いまも同じだ。

 

すっかり錆びついた今の私にはもっともっと刺激的な全力疾走が必要だ。

 

そろそろアップを始めるよ。

助走をつけて、どこまでも走っていけるように。

 

そろそろこの停滞期と手を切って、淀み切った空気を掻き回して追い風にしていかなければいけないのだ。

ありきたりな幸せにYESと言えたなら。

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何回も書いてきたけど、

まあまあ大きな会社で働いている。

 

私の生活は単純。

毎日朝8時に起きて、8時半の電車に乗って9時からの朝礼に出て、定時の6時ぴったりにタイムカードを切って会社を後にする。

 

給料も悪くないし、子育てや介護などプライベートへの理解もある。

 

扱ってる商品は、世間の誰もが手にしてる製品。

 

私の部署は全員結婚していて子供が2人とか3人いる。

 

たっぷりもらった給料で、旅行に行ったり外食したり。

「人よりちょっといい生活を手に入れた満足感」に酔いしれている。

 

最初入社した時は、そんな人たちを馬鹿にしていた。

 

こんなところに小さくまとまってたまるか。

私はもっと大きくなりたいから中国に行くんだ。

 

でも、国境が閉まって。

 

私の生活は地の底へ落ちた。

毎日が自殺で、電車の中に飛び込みたい衝動と戦ってる。

浴槽の中でギリギリまで息を止める。

刃物を手首に当てる。

 

それでも、どんなに精神的にどん底でも私はサラリーマン。

一睡もできていなくても次の日の朝は、

「元気が取り柄の新入社員」の仮面をつけて、おはようございますって言わなければいけない。

 

私が希望も何もかも失い、抜け殻のようになっても、私の目の前で「人より少しいい生活」を追い求める彼らの生活が変わることはない。

 

海外旅行をgotoに切り替えて、ちょっとリッチな国内旅行へ出掛けて行った。

 

休みの日はコストコニトリで家具と食材を見て、ささやかな幸せを噛み締めている。

 

それは、

まさにここにとどまればほぼ自動的に私の手に入る「幸せ」の形なのだと強烈に自覚する。

 

それなりの企業で働いてる私が、

それなりの企業で働いてる旦那様と結婚して、

それなりに子供を作り、

それなりに人より少しリッチな幸せを追いかけて。

 

考えてたら目眩がした。

そんなこと、受け入れられるわけがない。

 

そんな人生、私の目にはぬるま湯の中で窒息死させられることと同じだ。

 

でも、でも。

 

学生時代はよかった。

 

威勢よく、「人生はギャンブル。人生を中国にベット!」なんてはしゃいでた。

 

でも今はどうだろう。

 

私は少しだけ彼ら羨ましいと感じている。

 

日本のレールに乗っていれば幸せになれる。

 

小学生から大学生までそのレールのど真ん中を走るために死ぬ気で食らいついてきた。

 

そして、そのレールの延長線上にあるのは、

家族でちょっといいレストランに行って、

休日に動物園に行くことなのだろうか。

 

勘弁してほしい。

 

そんなことのために今まで私は頑張ってきたのか。

 

高校三年生の時、自分の日記を読んだらこんなことが書いてあった。

 

「今日IKEAに行った。

人間は幸せを追い求めて一生を終える生き物なのだと痛感させられた。

中学生の時は名門高校に入るために努力。

高校生の時は有名大学に行くために受験戦争。

大学生になった私は多分幸せを掴むために就活戦争。

そして、その先は婚活で経済力のある優しい旦那様を掴むために頑張って、

その果てがここか。IKEAなのか。

子供何人かと旦那を連れてでっかいカートを引いて、安い家具を自分なりの幸せの形に並べるのか。

それが人生か。

だとしたらつまんねーな。」

 

 

………おい!

 

勘弁してくれ。

 

浪人決まってたとは言え腐りすぎだろ。

 

確かに高校三年生の私の予言通り、

私は大学生活を駆け抜けて一流企業に入社した。

 

 

このままいけば自動的に用意されてる幸せを。

みんなと同じでみんなよりちょっとよくて特別な未来にyesって言えたらどんなに幸せだったかなあ。

 

とぼんやり考えることが増えた。

 

それでも、大阪のネオンに広州や香港を超える血液が沸騰して頭がクラクラするようなときめきを感じられなかった。

 

ぐるり、と自分の人生を振り返る。

 

悪かったな。ごめんな。

 

と思う。

 

ごめんな。

大学生の私。

高校生の私。

中学生の私。

小学生の私。

 

君たちが死ぬ気で繋いできたレールのど真ん中の幸せを、今の私は投げ捨てて、とんでもなく無謀なことをやろうとしてるんだ。

 

ごめん。

マジでごめん。

 

でも、私の幸せは多分IKEAにもコストコにもない。

 

なんでこんなことなったんだろ。

 

私の幸せはどうしてIKEAに転がってなかったのかなあ。

 

どうして私は、誰よりもありきたりな幸せのために努力してきたのに、誰よりもそれを魅力に感じられなかったのかなあ。

 

頭の中をぐるぐる回るいつまでも。

 

それでも、それでも。

 

ごめんな。

 

YESとは言えないことだけは絶対的な事実として私のど真ん中にあぐらをかいるもんだからさ。

 

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中華圏移民計画

 

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クソみたいな毎日が明日からまた始まる。

 

多分朝の朝礼より前に3回は嫌な思いはすると思うし、

今週の木曜日私は死ぬ。

 

それはもう分かってる。

 

それでも逃げられないのがサラリーマン生活というものだ。

甘んじて受け入れて強くなるしかない。

 

だから、今夜私は少しでも自分を奮い立たせるためにもげんきになることを書かなければいけない。

 

そろそろ触れておくべきだろう。

 

このブログの題名、

 

中華圏移民を目指すブログ

 

について。

 

読んで字の如く私は本気で中華圏に移民するつもりでいる。

 

移民計画といってもここまで固めるのは本当に大変だった。

 

まず最初に言うと私には香港人の彼氏がいる。

 

彼のことを愛しているし、一緒に人生を歩んでいきたいと思っている。

 

私は彼が大好きだ。

 

コロナで9ヶ月近く会えてなくても愛が冷めたことは一度もなかった。

 

彼の近くに行きたい。

 

もう飛行機がないと会えない距離は嫌だ。

 

 

だから移民したいのだ。

 

と、言い切りたいところだけど、残念ながら私はそこまで無謀になれない。

 

彼氏との愛を信じていても、

この恋愛に移民のために縋り付くのはあまりにも醜い。

 

会社に入って、私は毎日窒息しそうな日々を送っている。

 

[

 

ここにも書いたけど、

この空気を読んでニコニコして、平均以上の生活を守ると言う行為を私は多分長くは続けられないと思う。

 

ずっと夢だった中華圏で仕事をすること。

 

そこに辿り着くために今の会社に入ったけど私は既に消耗しきっている。

 

彼氏とはもともと2年働いた後香港で一緒に暮らす約束をしている。

 

でも、彼氏との未来がどうなろうと私は多分後一年半以上この会社で、というか日本社会でサラリーマンとして踏ん張れるビジョンはどうしても見えなかった。

 

日々を重ねていく上でそれは確信に変わっていく。

 

そんな毎日の中で、もっと主体的に移民に向けて動いていきたいと思った。

 

まず、私が中華圏でずっと住むには金を稼がなければいけない。

 

金を稼ぐためにはやはり、職を得なければいけない。

 

職を得るには中国台湾が2年の就労経験。

香港では3〜5年の就労経験が必要だ。

 

香港の場合はまあ彼氏がいるのでいいとして。

 

中国台湾に行き着くためにまずは2年の就労経験を得るために私は泣いても笑っても死んでもこの会社で後一年半耐え抜かなければいけない。

 

これはもう耐えてれば揃うことだからそんなに難しくはないと思う。

 

この2年の就労経験があれば、とりあえず中国と台湾では就活ができるようになるのでクリアにしたいのだけど、そこから強欲な私が動き出す。

 

2年の就労経験で中華圏で得られる仕事は収入がとてもとても低い。

 

これは勘弁願いたい。

 

じゃあどうするか。

 

日本であと数年踏ん張る?

 

それも勘弁。

 

一刻も早く今の上司の不正を上に報告して出世の道を根絶して会社には退職届を叩きつけたいのだ。

 

2年の就労経験で中華圏に行って尚且つ楽しく働いて貧乏しなくていい方法。

 

死ぬ気で調べた結果答えが降ってきた。

 

中華圏でMBAを取ろう。

 

中華圏で生きていくために、学生としてもう一度その国の人たちの考え方や、ビジネスのやり方を対等に学んでみたい。学び尽くしたい。

 

そして、そこで得た人脈を使って中華圏に居座ってやる。

 

と。こんなわけで私の移民計画が固まったところで今日はこの辺で。

 

希望の光を抱きしめる。

 

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クソみたいな1日から一転。

クソみたいな状況に終わりが見えた色鮮やかな1日。

 

多分またクソみたいな日々に戻る日も来ると思うけど記録しておこうと思う。

 

水曜日、訳の分からないスマホ紛失騒動とパワハラ同行を潜り抜けた私はひたすら心を無にして働いて1日の労働に勤しんでいた。

 

やっとこさ用事を終わらせて外観を口実に会社の外を出た時はもう始業から2時間が経った後だった。

 

会社から外に出ると、若手の社員から電話がかかってきた。

 

「しんどそうだけど、大丈夫?」

 

そこからは一瞬だった。

 

心に押さえつけてきたもの全てが決壊する様に何もかも話してしまった。

 

私が当たり前と押さえつけて受け入れてきたことに先輩はひとつひとつ丁寧に聴いてくれた。

 

そして、私の一つ一つを肯定してくれた。

 

「何も間違ってない。

君は何も間違えてないんだから胸張って良い。

今普通に頑張って出社してるだけでも並大抵のことじゃないよ。

 

もっと君を助けてくれる人はたくさんいる。

 

誰も責めない。

 

だから手を伸ばして飛び込んできて。」

 

頭の中にその声が響いて全て忘れて泣き崩れた。

 

クソみたいな生活。

 

それでも、蜘蛛の糸のように危うくとも希望の光が差し込んだ。

 

別の先輩はご飯に誘ってくれた。

 

泣きながら串カツを食べた。

 

私のどうにもならない愚痴を先輩はいつまでも聴いてくれた。

 

簡単に去ってやるものか。

 

捨てたもんじゃない毎日だ。

 

こんなふうに手を差し伸べてもらえて私だってまだ捨てたもんじゃない。

 

まだ希望は残ってる。

 

まだ力も残ってる。

 

絶対に最後まで戦う。

 

絶対に地獄に送ってやる。

 

私はいつも負けない。

 

少しずつ味方を作って自分なりの強さを身につけていこう。

 

それまでニコニコ笑っていようね。

優しいのはタクシーのおっちゃんだけ。

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今日はこの一週間で最もクソみたいな1日だった。

 

ひたすら上司のじくじくとした嫌味に耐えた。

 

でも彼は出世のために良い人を演じなければいけないので私に暴言を吐くことができない。

 

哀れな人だと思う。

 

なんか、同行してくれるとか言い出したのでなんか教えてもらえるんかなあ、と期待したけど、ただ歩き方とか振る舞いとかにケチつけるだけで、他のことは何も教えてもらえなかった。

 

これを深い意味のあるありがたい教育だとは思わない。

 

でもこうなることは大体わかっていたので、

私は頭の中で落語を唱えていたら終わった。

 

でも、今日肝を冷やしたのはスマホを無くしたことだ。

それも会社のスマホを無くしてしまった。

 

大急ぎで会社を抜け出したものの、タクシーが拾えない。

 

もしもこのままスマホが見つけられなければまたあの上司にジクジクとイヤミの末に始末書だ。

 

本気で泣きそうになる。

 

明日会社辞めるか。

 

そしたら怒られなくて済むやん!

 

と、頓珍漢なことを言いながら涙が止まらない。

 

そんな時、回送中のタクシーが止まってくれて乗せてくれた。

 

今にも泣きそうな私に向かって、

タクシーのおっちゃんは親身に話を聞いてくれた。

 

「きっと見つかるよ。頑張って探すんだよ!

それに見つかんなくたってそんなこと大したことじゃないんだからさ。」

 

なんとか私に寄り添ってくれようとしてるのがとても嬉しかった。

 

 

半泣きで取引先にたどり着いて探し回ったら、意外とすんなり出てきた。

 

見つけてほっとしてら自分が情けなくて泣けた。

 

疲れ果てていたし、会社にパソコンを置きっぱなしにしていたので、帰りもタクシーで会社に戻った。

 

帰りのタクシーのおっちゃんも気さくな人で、

私の話をたくさん聞いてくれた。

 

「僕も昔は営業やってたなあ。

新人の時、上司がそろそろお前も仕事ができるようになってきたから遠方の出張に連れてってやるって言ってくれたその出張で、大寝坊して出張がおじゃんになっちゃった。

でもそんなもんだよ。

 

今日スマホ見つかったならよかったじゃない。

 

良かったんだから忘れてしまえばいいや。

 

上司の言うこと、自分で失敗したこと一つ一つ真面目に反省してたらキリないもん。」

 

思わずポロポロ泣いてしまった私を、

おじさんはミラー越しに笑ってみてた。

 

1240円払ってタクシーを降りた。

 

最悪な1日だった。

 

帰ってからもやらなきゃいけない仕事はてんこ盛りだった。

 

でも、よかった。

 

スマホを探しに行った往復20分程度。

 

私は初めてこの大阪の街で人の優しさに触れられたのだから。

 

友達は欲しくない。

寂しいけど、繋がりは求めていない。

 

あと一年半したら出ていくんだから。

 

毎日こんなに悲しいんだから、

こんな場所に根を張るようなことはしたくないのだ。

 

それでも、人の優しさが恋しい。

 

ここでの生活は最悪だ。

 

幸せな瞬間なんてひとつもない。

 

大都会の中で会いたい人に会うこともできずに、1人きりの毎日だけど。

 

タクシーのおっちゃんだけは優しかったと覚えておきたいと思った。

サラリーマン嫌い①

 

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まあまあ大きい会社で働いている。

 

サラリーマン生活歴半年。

 

半年過ぎて学んだことは、私はサラリーマンが嫌いってことだ。

 

別に怪しいセミナーや起業に走ったりするつもりは毛頭ない。

 

ただ、にんじんが嫌いとか虫が嫌いとかそれと同じようにサラリーマンって生き方が嫌い。

 

なんで気持ち悪いんだろう。

 

なんで私はこんなに嫌いなんだろう。

 

考えてみたら、すぐわかった。

 

誰も悪人がいないのだ。

 

私の会社は同期上司先輩含めて悪人はいない。

ムカつくやつ、殺したいほどうざい人、いるにはいるけど、彼らは悪人ではない。

 

悪人ではなくて、普通のいい人達が、

他の人よりちょっと目立ちたくて、

ちょっといい格好したくて、

 

ニコニコしながら仲良しごっこをしている。

 

永遠の就活。

 

永遠のグループワーク。

 

それが会社。サラリーマン。

 

夢を持って入社した人間だったけど、

どうにも愛せなかった。

 

この会社という空間に帰属して、何年も何年もやっていくビジョンが見えてこなかった。

 

もうちょっと、自分の感情を大事にして生きていけないものだろうか。

 

悲しい時はゆっくり悲しみに向き合いたいし、

泣きたい時は泣きたい。

 

でも、毎日8時半には出勤するための電車に乗る。

 

心の中がどんなに壊れていても、8時半には笑顔で朝礼で新人に求められるキャラクターに入り込まなければいけない。

 

その先に何があるんだろう。

 

こんなにたくさん大人がいるのに、

こうなりたい、とか、尊敬できるなあ、と

思えた人に出会えたことは一度もなかった。

 

「仕事はできるんだから、人格はともかく…」

 

と思ってた先輩は勤務時間中に不倫相手の他部署の女といちゃこらこいてたことを知ってしまった。

 

くだらねー。

 

何一つ面白くねえ。

 

こういうところも嫌いだ。

会社の中ではやってます頑張ってますを演出して、裏ではうまいことサボってる。

 

それで少しばかり高い給料で、

今度は「世間の人より恵まれてる」って事実だけを噛み締めて生きていく。

 

つまらない。

 

つまらなくて吐きそう。

 

あと一年半と決まってるけど、全くもって耐えられる気がしない。

 

私のモットーは、

大きなリスクを取らないものに大きな幸せもリターンもない。

 

だけど、多分会社のサラリーマンはもともと大きなリスクがなければいい。

 

って人たちが多いんだなあってことに最近気がついた。

 

就活生向けにはかっこいいこと言うくせにね。

 

サラリーマン嫌い。

 

私は出ていく身だけど、日本生活最後の2年間でこんな馬鹿らしい世界があることが知れたことは、クソみたいな経験でも今後日本人に舐められないというこれまたクソみたいな理由でまあ死ぬほどギリギリで許容範囲内と言うことにしてあげている。

 

現段階では。