死の誘惑
毎日1日の終わりに考えることは、
今日も何一つとしていいことなんてなかった。ということ。
そして、こんなことなら昨日死んでおけばよかったと後悔するのだ。
死にたい。
死にたい。
死んじゃいたい。
私は毎日疲れ果てて、ボロボロになって。
今香港や中国に行くには仕事をやめなければいけない。
仕事を辞めて行ったところで、あっちに仕事があるわけではない。
これまでの人生で、私はいつも根無草だ。
どこにいても、いつであっても居場所のなさを感じていた。
今も会社に居場所なんてない。
周りの人間が馴れ合いで仕事をしていて、
私より年齢が上の女が「まだ若手なんだからー」で許されてる横で、1人でその女の3.4倍は働いている。
無論、助けてくれる人なんて1人もいないし、いつもいつも明日が嫌で嫌で仕方がない。
いつも頭の中では中国の生活のことや香港にいる恋人のことを考える。
日本に一億二千万人いるのに。
日本だって十分広いのに、
なんで私はこの国に居場所を見つけられなかったんだろう。
やっぱり出来損ないだったかなあ。
上まで登れば、居場所も見つかると思ってがむしゃらに就活して、地上波にCMを何本も売ってるような企業に入社してみたけど、居場所が見つかるどころか、今度はその仕事に縛られて自由ばかりが吸い取られて奪われていく気がする。
高校、大学、就職活動。
日本社会で大勝利とまでは行かずとも、合格点は叩き出してきたつもりだったのに。
なんでこんなに1人で、こんなに居場所がなくて、こんなに死にたいんだ。
このままじゃどこにも行けない。
このままここにいても、生き地獄は続いていく。
でも、ここから降りていますが何もかも投げ捨てて香港に行く術もビザもないし、もしもあったとしてもその先にあるのは私が最も見下して軽蔑してきた二流三流の負け組人生だけだ。
そんな人生、私は受け入れられないしそんな生き恥を晒しながら生きていくくらいなら死んだ方がマシ。
私は、負けたら死ぬしかないという覚悟でこれまでの人生を戦ってきたのだから。
だから、負けを認めて降りた時点で、私に残ってる選択肢は死ぬことだけなのだ。
そうだ、死んで仕舞えばいいのだ。
死ねばこうやってコロナや政策に振り回されてみっともなく大事なものを奪われて泣き叫ぶ必要なんてないし、明日仕事に行く必要もない。
一瞬だよ。
やってしまいなよ。
通勤電車を待つ地下鉄のホームで、あと2.3歩踏み出せば。
時速120kmで駆け抜ける高速道路でもう少しだけスピードを上げて目を閉じて壁に突入して仕舞えば。
生活圏内にあるあらゆる死の可能性が抱き締めるように優しく温かく私の手を引いていこうとする。
私をこの世に繋ぎ止める希望とか未来とか夢とか。
そういうNHKが好きそうな物が、時間と共に薄れて消えていく。
天秤に死ぬメリットと生きるメリットを載せたら、今の私なら確実に死ぬメリットが勝ってしまう。
生きる道がないのだ。
生きる意味がない人生。
こんな酷い結末のために、私は25年間戦ってきたのか。
いつまで勝てるのか、死の誘惑に。
今もこれを書いてるお風呂場で、ハイターの混ぜるな危険の文字がゆっくりと私に手招きしてるのだ。
死んでいく者と生きていく者。
圧倒的に生きていく者だったはずの私は、
いまは限りなく死んでいく者の側に立ち尽くしている。
なんでも持ってる。
仕事があるだけマシだ。
恋人がいないよりいる方がいいじゃないか。
そんな気休めはいらない。
今の仕事も生活も私が自分自身で勝ち取ったものだ。当然の結果じゃないか。
会いたい人がいるのに会えないのと会いたい人がいない人はそもそも二種類の人間で同じ軸で語るべきではないだろう。そこに優劣も何も存在しない。圧倒的に違うという事実が横たわっているだけなのだから。
この一年間本当に頑張った。
こんな地獄で仕事を回しながらも、中国政府の奨学金の条件のHSK6級の規定のスコアだって死に物狂いで自習室に通いながら習得した。
これ以上、何を頑張ればいいのか。
全速力の人生に向き合う熱量も気力も生命ももうずっと前に終わった。
気安く、もう楽になっていいよ。
降りてもいいよ。
と、今まで私を散々鼓舞して競争社会にぶち込んできた周囲の人間が言う。
そうか、私はもう終わってるのか。
もう戦力外なのか。
死ぬよりはマシだから、競争社会から降りていいのか。
死ぬよりはマシだから。
今死にたい。
今すぐ死にたい。
私は、降りた後の人生を生きていく自信はない。
金持ちの実家で、病人のような扱いを受けて人生の夢や目標を失った廃人になる勇気はまだない。
かといって、
苦しみと痛みしかない明日に立ち向かい続ける勇気も持ち合わせていない。
死、のみが救いであり、救済なのだ。
今の私にとっては死は甘くて優しくて安らかな希望だ。
明日私が死んでも、明後日死んでも大して変わらないのに。
涙が止まらず、いつ死の手をとって歩いてしまうかわからない自分をなんとか生命に繋ぎ止めてなんとかやりぬいてる。
それだけの話だ。
ここまで、追い詰められて
死にたい私なんてレアだから。
珍しいんだから見せ物にでもしないと損だから残しておきたくて今日これを書いた。
これからどうするのかはまだ決められていない。