中華圏への移民を目指すブログ

中華圏への移民を目指す女のブログです、

深夜スーパーマーケット

私の暮らす街は変な街だ。

 

表通りに予備校や塾がひしめき合い、我が子を有名小学校ないし中学校にぶち込むために、ハイヒールにイヤリングをつけた金持ちマダムが血眼になって高級車で送り迎えを繰り返す光景が毎夜繰り返される。

 

ともすれば、心許ない能力とやさぐれ切った精神状態で人生1番の大勝負を目の前に憔悴し切った予備校生が亡霊のように歩き回る。

 

そこから一本入ると大阪で3本の指に入るラブホ街が広がっている。

 

ラブホといえば人目を偲んだ不倫カップルの逢瀬を想像するものの、その実ホテヘル嬢が仕事場に使ってることの方が多いと、暇そうにラブホの前で暇を潰すドライバーが教えてくれた。

 

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どう見てもヴィヴィアンウェストウッドにしか見えないロゴが今日も高い場所でキラキラしてるこの街は私にとって大阪で唯一安らげる場所だ。

 

会社から電車で一本。

ドアからドアまでだいたい30分でつけるけど、

私の心の中で会社とこの街は新幹線で4時間くらい離れてる。

 

新型コロナが始まって以降私の生活は地獄になった。

 

過食が止まらず、体重は10キロ以上増えてしまったし、精神的支柱を失い既にゾンビのような自分の中に残ってるありとあらゆるものをかき集めてまともな人間の型を作り上げて生活している。

 

だから、生活圏では毛布か服かの区別すらもはやつかない服を着て、路上に座り込んで無為に時が過ぎ去るのを待っている。

 

この地に根を張り生きていくつもりは毛頭ないし、楽しい瞬間なんてひとつもない。

 

今の私の身の上は懲役刑を宣告された囚人に等しい。

 

全くもってやる気は出ないし、出ないのに出してくるつもりもないからタチが悪いのだ。

 

それでも、そんなふうに完璧な廃人生活のサイクルを組み立ててみれば死にたくてのたうちまわりながらも呆気なく日々は過ぎ去っていく。

 

ただ、流石に体重の増加が見過ごせない域まできてしまったので、コンビニやマックで買って食べるのだけはやめるべく、近所のスーパーに通うようになった。

 

ラブホ街から近いくせに、私の家から一番近いスーパーは結構お高めの阪急系列のスーパーだ。

 

さすがは塾に送り迎えに来るマダムの御用達のスーパーだけあって輸入食材や、名前を見てもパッと分からないようなハイソな品揃え。

値段も高いながら、今の私はゾンビなので、更に自転車を超えて激安スーパー玉出まで足を伸ばす元気も気力もないのだ。

 

そんなわけで、毎週金曜日の閉店時間ギリギリにこのスーパーに滑り込んで一週間分の食料を調達することが私の新しい習慣として息づいた。

 

ぼんやりと人が少ないスーパーをカゴ片手に徘徊して安売りの野菜や豆腐を片っ端からカゴに放り込んでいく。

 

何に使うかは考えない。

 

帰った後に考えればいいし、最悪火を通せば食べられるのだから。

 

ぼんやりとレジに並ぶと、今日のレジの係のおばさんは研修中という肌をデカデカと掲げている、白髪混じりのポニーテール。

 

レジにはアクリル板が張り巡らされ、

一寸の飛沫すら許すまじという強い意志が感じられた。

 

もう、そのアクリル板に思うことなんてなかった。

 

新型コロナウィルスが始まって一年。

こんな笑えない一周年なんてないけど、

ひとつ一つの変化に憤ったり悲しんだりする気力はとうの昔に尽き果てた。

 

そのおばさんは、レジが非常に下手だった。

 

焦って焦って、私がオレンジを10個買ったと入力して更に焦りを加速させた。

 

「ゆっくり大丈夫ですよ。私全然急いでないです」

 

ゾンビの私が人のかたちをとって、話しかけた。

 

実際金曜の夜9時。

私には悲しいほど何もなかった。

 

「ええ、ありがとうございます。

申し訳ございません。」

 

「いえいえ」

 

ピッピっと機械音が順調に鳴り響き、

おばさんは本調子を取り戻す。

 

全ての商品がレジを通り抜けて、私がお金をお釣りを載せるトレイは乗せて、ジャラジャラとレジがお金とレシートを吐き出した。

 

おばさんは、そのお金を手に取ってお札の上にレシート。

レシートの上に小銭を乗せて私に手渡した。

 

手渡した瞬間、おばさんは「やってしまった」という顔をした。

 

「すみませ…」

 

「いいんですよ!いいです!最高ですよ!」

 

私は咄嗟におばさんのすみませんを打ち消した。

 

「この方がいいんですから。私この方が好きですから」

 

意味がわからないけど泣きそうだった。

 

毎日毎日コンビニで薬局で、スーパーで、くるくるとトレイが私と店員の間を行ったり来たり。

 

トレイに置いてある小銭をかき集めてお財布に戻す時間。

 

あれが私は嫌で、悲しくて仕方がなかったのだと強烈に自覚した。

 

それは別にレジのおつりだけじゃなくて、

短くなった郵便局の営業時間とか、

取引先の面談室にあるパーテーションとか、

デパートの前で通せんぼしてくる消毒液とか、

 

小さな小さな変化の全て。

 

当たり前にあった全てをひとつひとつ気づかれないうちに信じられないほどのたくさんのものを変えられてしまったのだと分かった。

 

私がものすごい勢いで一方的に弁護してしまったからおばさんもなんだか訳がわからなくなってしまったようで。

 

「そうよね…。私前もスーパーでパートしてたんやけど、こんなんかなわへんわ。

お客様だってややこしいと思うねんけどなあ…」

 

「そうですよね!」

 

おばさんが笑った。

私も笑った。

 

手渡しされた小銭は、お札とレシートと傾けるとするすると財布に流れ込んでいった。

 

大量の食品を買い込んだ私のカゴを袋詰めのコーナーまで持っていくのをおばさんは手伝ってくれた。

 

たくさんの食品を詰めたマイバックを片手に外に出た。

 

もうずっと飛行機が往来するのを見つけられない空っぽの夜空を見上げて、いつまでも涙が止まらなかった。

 

ふざけんな。

 

ふざけんな。

 

何回でも口の中で繰り返す。

 

 

忘れてはダメだ。

 

気がつかないうちに奪われたもの。

変えられたことが沢山沢山あったのだ。

 

ちきしょう。

 

ちきしょう。

 

こんちきしょう。

 

ギラギラ輝くラブホのヴィヴィアンウェストウッドもどきだけがこの街で輝いていた。

 

新年とHSK

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年末は熊本に帰っていた。

またかとなるかもしれないけれど、1人ではやりきれなかった。

 

もう何もかも疲れ果てて、呆然と右肩上がりの感染者数に耳を傾けた。

 

涙が溢れて溢れて、自分の中の何かが日々壊れていくのを感じている。

 

結局心休まらずそのまま正月休暇は終わり、会社のある大阪に戻った。

 

帰ってきたら近所に、甘粛牛肉麺の店を見つけた。

 

ふらりふらりと引き寄せられるようにその店に入ると、懐かしくて愛しくて会いたくてたまらない中国独特の香辛料の匂いが鼻に飛び込んできた。

 

それだけでもう泣いてしまいそうだった。

 

出てきたラーメンは中国で食べたものと全然変わらない、素敵な味で私は一瞬だけこの世の中にある憂鬱な全てのことを忘れた。

 

無我夢中でラーメンを口に運んだ。

 

中国にいたときにあった無尽蔵なパワーのほんの一欠片だけ燃え滓のようになった残骸が少しだけ光った気がした。

 

結局、2020は最後までゴミのように終わった。

2021年にもいまだ居座ってる。

図々しく居座る存在にいい加減にしろと叫ぶ気力さえもうない。

 

それでも、今年は泣いても笑っても私が日本で過ごす最後の一年だから1日1日を大切に生きていきたい。

 

とりあえず、私のMBAに向けた検定乱れ受けが始まる。

 

第1発目はあと24日後に迫ったHSKだ。

 

ここで前回同程度の200点前後をマークして、3月には240点を決めたい。

 

ここから先はノンストップ。

 

人生最後の日本生活。

 

泣くか笑うか、って言うけど、絶対笑って笑って幸せだけで彩りたいからとろけるように幸せな瞬間がたくさん用意されてると私は信じて進みたい。

 

 

いいところ、悪いところ

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中華圏への移民を掲げながらも、その実仕事の愚痴とかそんな日々のことしか書けていない。

 

それでも、今日感じたこととか今の自分が思っていることをつらつら書き連ねていきたいから。

今の自分を残しておきたいから、やはり悪いことや今のマイナスな感情も書き残していきたいと思う。

 

今日は水曜日。

 

苦手な上司との同行で、私は昨日の夜から結構ブルーだった。

 

それでも結構遠いところまで行かなければいけなくて、私は車の中で上司と二人で何かを話さなければいけなかった。

 

取り止めもない話をした。

 

とにかく機嫌良くしていて欲しい。

 

そんな一心だったけど、今日はやけくそで、

自分の思ってるかわいいだけの社員への不満をぶちまけてみたところこれが大いに受けた。

 

そして、上司は今まで見たことないような柔らかい表情で過去の自分がやらかしたことなんかを話してくれたけど、

その内容は今までの空虚な自慢話よりも素直に面白かった。

 

この上司を心から尊敬できるようになることは多分ない。

 

いろんな最低なことをやっている噂を聞いてるし、

この人のパワハラのせいで何人もの若手が心を壊して会社を去った。

 

それでも私は、必ず後一年4ヶ月はここにしがみつかなければいけない理由がある。

 

でも、今日朗らかな顔で楽しそうに自慢話でも説教でもないことを話す上司の姿を見れて良かったと思う。

 

この人にこんな顔があるとわかっただけでも明日からこの上司とどう向き合っていくのかを考えていく糧になる。

 

一週間で1番憂鬱だった今日は意外なほどに穏やかに過ぎ去った。

 

明日はもう木曜日。

 

希望のない毎日でも、また明日からも耐え抜いて生きていかないといけないね。

 

そしてこのブログにも少しずつ中華圏への移民についてしっかり書いて記録していきたいと思う。

 

周囲の人たち

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日本社会のど真ん中で生きている。

 

毎日毎日をなんとかやり過ごして、

恋愛趣味レーションゲームのように毎日上司や先輩の頭の上に、彼らが望む言葉をいくつかの選択肢から選ぶ。

 

私はうまくやれている。

悲しいほどにうまくやれているのだ。

 

「〇〇さんかっこいいっすからね!」

 

「早くチームのみんなの力になって戦力になりたいです」

 

「簡単な作業ですからこれ私一人でもやれますんでお子さんのお迎え行かれてくださいよー」

 

うまくやれてる。

 

うまくやれてる。

 

でも、何もかもが歪んでいる。

 

今の私は、守るべき幸せや、ふいに息をつく瞬間の全てがない。

 

洗面器の中に顔面を突っ込まれたまま溺死を待たされているような状態が一年近く続いている。

 

毎日が不幸せで苦しい。

 

それでも私は毎日毎日を生きている。

 

周囲の人はこの日々を愛しているように見える。

 

愛する家族がいるから?

 

恋人がいつでも会える距離にいるから?

 

このクソみたいな会社の理念に共感できているから?

 

私はいつでも出口を探している。

 

一緒に愚痴を言う相手に、実はなんの同情も思いも抱かない。

 

現状に毒ついてそれでも心地の良い牢獄に繋がれている。

それを許容してなんとなく続けていく体力や根性を私は持ち合わせていない。

 

愛する人も。

夢も。

生きる意味も。

 

全てが海の向こうにあって私の手から離れていってしまった。

 

周囲の人は優しい。

 

私は彼らのことが嫌いではない。

 

でも私はとてもとても孤独なのだ。

 

これだけ人間がいるのに誰一人として私の苦悩を知らないし、知ったとしても理解することもできないだろう。

 

満ち満ちた悲しみはもうすでに首のところまでみちてきて、私を窒息死させようとしている。

 

明日も会社に行く。

 

きっとクソみたいな1日だ。

 

やり過ごそう。

 

 

 

全力疾走できる瞬間を待ち侘びて。

 

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この三連休は熊本に帰った。

 

我慢の三連休なんて知るかと思った。

 

国境ひとつ開けられない。

何ひとつお仕事のできない日本国のために何かを頑張る気が一ミリも湧いてこなかった。

 

だから、ささやかな抵抗で熊本に帰った。

 

金曜日の新幹線。

ケチって時間変更の効かないチケットを買ったのが運の尽き。

 

仕事の兼ね合いで、さらに地下鉄間違えて私が新大阪に着いたのは、新幹線が出るまでぽっきり4分の時間だった。

 

せめて改札をくぐれば何とかなる。

改札さえくぐれば、時間切の切符も有耶無耶にさっさと乗り込んでしまえる。

 

そう思い新幹線の改札めがけて走ったものの、

そこに着いた時まだ残り1分の時間が残っていた。

 

どうしてそうしようと思ったのはわからなくても、28番乗り場から、端っこの21番乗り場に駆けこもうとすると、圧倒的な階段が聳え立っていた。

 

スーツケースにリュックサックに仕事の鞄とお土産の紙袋。

 

残り30秒。

 

その時、スーツケースを抱え上げ私は一目散に階段を駆け上がった。

 

新幹線の閉まりかけるドアにスーツケースを蹴り入れて飛び込んだ私は、その時バックパックひとつで中国大陸を駆け抜けて全力疾走していた自分の姿の後ろ姿を捕まえた気がしたのだ。

 

新幹線のドア越しに倒れ込み、ゆっくり呼吸をする時、私は一瞬だけこの数ヶ月の鬱屈とした全てから解放されていたのだ。

 

全力疾走。

絶体絶命の中で走るあの瞬間。

 

どうして私は、あんなにも中国を旅することをやめられなかったのかと考えたら多分答えはここにあったのだと思う。

 

何もかも忘れて目の前のピンチに向けて駆け抜ける緊張感とスピード感。

 

駆け抜けて行く瞬間は何よりも濃厚だ。

 

全力疾走できることが少なくなった。

 

でも人生には全力疾走することが必要だ。

 

だから、私は全力疾走していたくて、その瞬間のためだけに狂ったように旅に出ていたのだと思う。

 

いまも同じだ。

 

すっかり錆びついた今の私にはもっともっと刺激的な全力疾走が必要だ。

 

そろそろアップを始めるよ。

助走をつけて、どこまでも走っていけるように。

 

そろそろこの停滞期と手を切って、淀み切った空気を掻き回して追い風にしていかなければいけないのだ。

ありきたりな幸せにYESと言えたなら。

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何回も書いてきたけど、

まあまあ大きな会社で働いている。

 

私の生活は単純。

毎日朝8時に起きて、8時半の電車に乗って9時からの朝礼に出て、定時の6時ぴったりにタイムカードを切って会社を後にする。

 

給料も悪くないし、子育てや介護などプライベートへの理解もある。

 

扱ってる商品は、世間の誰もが手にしてる製品。

 

私の部署は全員結婚していて子供が2人とか3人いる。

 

たっぷりもらった給料で、旅行に行ったり外食したり。

「人よりちょっといい生活を手に入れた満足感」に酔いしれている。

 

最初入社した時は、そんな人たちを馬鹿にしていた。

 

こんなところに小さくまとまってたまるか。

私はもっと大きくなりたいから中国に行くんだ。

 

でも、国境が閉まって。

 

私の生活は地の底へ落ちた。

毎日が自殺で、電車の中に飛び込みたい衝動と戦ってる。

浴槽の中でギリギリまで息を止める。

刃物を手首に当てる。

 

それでも、どんなに精神的にどん底でも私はサラリーマン。

一睡もできていなくても次の日の朝は、

「元気が取り柄の新入社員」の仮面をつけて、おはようございますって言わなければいけない。

 

私が希望も何もかも失い、抜け殻のようになっても、私の目の前で「人より少しいい生活」を追い求める彼らの生活が変わることはない。

 

海外旅行をgotoに切り替えて、ちょっとリッチな国内旅行へ出掛けて行った。

 

休みの日はコストコニトリで家具と食材を見て、ささやかな幸せを噛み締めている。

 

それは、

まさにここにとどまればほぼ自動的に私の手に入る「幸せ」の形なのだと強烈に自覚する。

 

それなりの企業で働いてる私が、

それなりの企業で働いてる旦那様と結婚して、

それなりに子供を作り、

それなりに人より少しリッチな幸せを追いかけて。

 

考えてたら目眩がした。

そんなこと、受け入れられるわけがない。

 

そんな人生、私の目にはぬるま湯の中で窒息死させられることと同じだ。

 

でも、でも。

 

学生時代はよかった。

 

威勢よく、「人生はギャンブル。人生を中国にベット!」なんてはしゃいでた。

 

でも今はどうだろう。

 

私は少しだけ彼ら羨ましいと感じている。

 

日本のレールに乗っていれば幸せになれる。

 

小学生から大学生までそのレールのど真ん中を走るために死ぬ気で食らいついてきた。

 

そして、そのレールの延長線上にあるのは、

家族でちょっといいレストランに行って、

休日に動物園に行くことなのだろうか。

 

勘弁してほしい。

 

そんなことのために今まで私は頑張ってきたのか。

 

高校三年生の時、自分の日記を読んだらこんなことが書いてあった。

 

「今日IKEAに行った。

人間は幸せを追い求めて一生を終える生き物なのだと痛感させられた。

中学生の時は名門高校に入るために努力。

高校生の時は有名大学に行くために受験戦争。

大学生になった私は多分幸せを掴むために就活戦争。

そして、その先は婚活で経済力のある優しい旦那様を掴むために頑張って、

その果てがここか。IKEAなのか。

子供何人かと旦那を連れてでっかいカートを引いて、安い家具を自分なりの幸せの形に並べるのか。

それが人生か。

だとしたらつまんねーな。」

 

 

………おい!

 

勘弁してくれ。

 

浪人決まってたとは言え腐りすぎだろ。

 

確かに高校三年生の私の予言通り、

私は大学生活を駆け抜けて一流企業に入社した。

 

 

このままいけば自動的に用意されてる幸せを。

みんなと同じでみんなよりちょっとよくて特別な未来にyesって言えたらどんなに幸せだったかなあ。

 

とぼんやり考えることが増えた。

 

それでも、大阪のネオンに広州や香港を超える血液が沸騰して頭がクラクラするようなときめきを感じられなかった。

 

ぐるり、と自分の人生を振り返る。

 

悪かったな。ごめんな。

 

と思う。

 

ごめんな。

大学生の私。

高校生の私。

中学生の私。

小学生の私。

 

君たちが死ぬ気で繋いできたレールのど真ん中の幸せを、今の私は投げ捨てて、とんでもなく無謀なことをやろうとしてるんだ。

 

ごめん。

マジでごめん。

 

でも、私の幸せは多分IKEAにもコストコにもない。

 

なんでこんなことなったんだろ。

 

私の幸せはどうしてIKEAに転がってなかったのかなあ。

 

どうして私は、誰よりもありきたりな幸せのために努力してきたのに、誰よりもそれを魅力に感じられなかったのかなあ。

 

頭の中をぐるぐる回るいつまでも。

 

それでも、それでも。

 

ごめんな。

 

YESとは言えないことだけは絶対的な事実として私のど真ん中にあぐらをかいるもんだからさ。

 

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中華圏移民計画

 

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クソみたいな毎日が明日からまた始まる。

 

多分朝の朝礼より前に3回は嫌な思いはすると思うし、

今週の木曜日私は死ぬ。

 

それはもう分かってる。

 

それでも逃げられないのがサラリーマン生活というものだ。

甘んじて受け入れて強くなるしかない。

 

だから、今夜私は少しでも自分を奮い立たせるためにもげんきになることを書かなければいけない。

 

そろそろ触れておくべきだろう。

 

このブログの題名、

 

中華圏移民を目指すブログ

 

について。

 

読んで字の如く私は本気で中華圏に移民するつもりでいる。

 

移民計画といってもここまで固めるのは本当に大変だった。

 

まず最初に言うと私には香港人の彼氏がいる。

 

彼のことを愛しているし、一緒に人生を歩んでいきたいと思っている。

 

私は彼が大好きだ。

 

コロナで9ヶ月近く会えてなくても愛が冷めたことは一度もなかった。

 

彼の近くに行きたい。

 

もう飛行機がないと会えない距離は嫌だ。

 

 

だから移民したいのだ。

 

と、言い切りたいところだけど、残念ながら私はそこまで無謀になれない。

 

彼氏との愛を信じていても、

この恋愛に移民のために縋り付くのはあまりにも醜い。

 

会社に入って、私は毎日窒息しそうな日々を送っている。

 

[

 

ここにも書いたけど、

この空気を読んでニコニコして、平均以上の生活を守ると言う行為を私は多分長くは続けられないと思う。

 

ずっと夢だった中華圏で仕事をすること。

 

そこに辿り着くために今の会社に入ったけど私は既に消耗しきっている。

 

彼氏とはもともと2年働いた後香港で一緒に暮らす約束をしている。

 

でも、彼氏との未来がどうなろうと私は多分後一年半以上この会社で、というか日本社会でサラリーマンとして踏ん張れるビジョンはどうしても見えなかった。

 

日々を重ねていく上でそれは確信に変わっていく。

 

そんな毎日の中で、もっと主体的に移民に向けて動いていきたいと思った。

 

まず、私が中華圏でずっと住むには金を稼がなければいけない。

 

金を稼ぐためにはやはり、職を得なければいけない。

 

職を得るには中国台湾が2年の就労経験。

香港では3〜5年の就労経験が必要だ。

 

香港の場合はまあ彼氏がいるのでいいとして。

 

中国台湾に行き着くためにまずは2年の就労経験を得るために私は泣いても笑っても死んでもこの会社で後一年半耐え抜かなければいけない。

 

これはもう耐えてれば揃うことだからそんなに難しくはないと思う。

 

この2年の就労経験があれば、とりあえず中国と台湾では就活ができるようになるのでクリアにしたいのだけど、そこから強欲な私が動き出す。

 

2年の就労経験で中華圏で得られる仕事は収入がとてもとても低い。

 

これは勘弁願いたい。

 

じゃあどうするか。

 

日本であと数年踏ん張る?

 

それも勘弁。

 

一刻も早く今の上司の不正を上に報告して出世の道を根絶して会社には退職届を叩きつけたいのだ。

 

2年の就労経験で中華圏に行って尚且つ楽しく働いて貧乏しなくていい方法。

 

死ぬ気で調べた結果答えが降ってきた。

 

中華圏でMBAを取ろう。

 

中華圏で生きていくために、学生としてもう一度その国の人たちの考え方や、ビジネスのやり方を対等に学んでみたい。学び尽くしたい。

 

そして、そこで得た人脈を使って中華圏に居座ってやる。

 

と。こんなわけで私の移民計画が固まったところで今日はこの辺で。