中華圏への移民を目指すブログ

中華圏への移民を目指す女のブログです、

語学で無敵にはなれなかった話

 

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中国語にはそこそこ自信がある。

英語にはまあまあ。

 

ほとんどの人間が生涯日本語しか話せず終わっていく日本において今から2年ほど前の私は外国語ができる全能感と無敵感に酔いしれて何でもできるような気持ちになっていた。

 

だから、中国や香港で新卒でやっていける気がしてたし、中国のいくつかの会社から内定も受け取っていた。

 

 私が彼氏と出会ったのは大学3回生の3月で、そのあとすぐに内定を取って大学4回生の4月には就活を終えていた。

 

故に、授業も就活もない丸々1年間彼のことだけを考えて過ごし遠距離は辛くて仕方がないし、私は語学ができることで無敵モードだったので新卒で中国や香港でも全然いける気がしていたのだ。

 

ただ、これに同意しなかったのは親や就活に協力してくれた大学の先輩たちだった。

 

激しい反対に遭いながら私はさらに燃え上がり、

「そんなに私の語学が信頼できないなら2年間大学院に行く!日本にいるのはもう嫌だ!」

 

と完全に脳みそトランス状態だった。

 

よくTwitterやインスタに溢れてるような海外生活は、新卒で内定が取れていた会社での仕事よりもよっぽど刺激に満ちていて楽しそうだった。

 

結局親や、友人、先輩たちの激しい反対と、

内定先がまあまあ大きな企業で私の一ミリの日本への未練のせいで私はこのコロナ禍に日本に残留して日本の会社で働き始めることになった。

 

最初の一年は後悔しかなかった。

 

親なんてどうせ私より早く死ぬんだし言うこと聞かないで自分の人生大事にしてあのコロナで国境が閉まる前に中国に滑り込んだほうが良かったんじゃないか。

 

香港の大学院に進学してそのままインターンビザで仕事探せばよかったんじゃないか。

 

新卒一年目に与えられる単調なルーティンと私が思い描いていた海外生活のギャップはあまりに大きかった。

 

ただ、2年目に入りまあまあ大きな仕事が与えられるようになり頭がおかしくなるほど忙しくなってきたから私の考えは最近劇的に変わったのだ。

 

それは、

 

真面目に語学はホント素晴らしいけど、

無敵にはなれない。

 

と言う一点に尽きる。

 

JANコード、代理店、SKU、企画品、返品、

 

営業として飛び込んだ私の業界に散りばめられている業界の不文律や言葉たちは、容赦なく私に降りかかってきた。

 

エクセルだって全くいじったことない文学部だったから、先輩から習いながら必死に覚えたし、

 

顧客情報抽出システムは取引先ごとに全く違うものを使っていて、それらのマニュアルはなく全て先輩と後輩で教えあって成り立っている。

 

私はメーカーである今の会社に入るまで、

自社の商品の価格がどう決まって他社と競争しているのか。

どのようなコストをかけて消費者に届いているのか。

そもそもどのようなルートで店頭に並んでいるのかを知らなかったし、

 

さらに言うなら名刺の渡し方や、

メールの書き方。

名刺を交換した後取引先とどう関係を作って、自社製品を売り込むのか。

 

何もかも知らなかったしわからなかった。

 

そして、語学ができることで無敵モードだった私はそんなことを想像もしていなかったのだ。

 

毎日会社に行く時知らなかったことを、

帰り道には知って帰る日々を繰り返せば、

 

これを外国語で出来たのか?

 

というシンプルな疑問にノーと即答できる。

 

たしかに、

日系企業なんてもう古いなんて言う人も居ると思う。

 

実際私もそんなことを言っていた記憶がある。

 

でも、海外で日本のやり方も知らなくて言語もネイティブレベルじゃない日本人の新卒と、同じスキルを持っていて文化も歴史も共有してる自国人であればどちらに優位性が来るかは一目瞭然なのだ。

 

それでも新卒で語学だけができる人のための仕事が現地にはあった。

 

在住日本人の生活サポートの仕事、

例えば駐在員としてやってきた日本人の住居探しサポートの仕事とか、駐在員の秘書とか、日本人観光客向けのサービス業、日本語教師なんかがあったと思う。

 

でも、私は中国語を学んだ時、中国語と日本語を使って日中を飛び回り自分がビジネスの中心で戦力になるような仕事がしたかったのだ。

 

上記の仕事へのリスペクトは忘れないけど、

私の思い描く理想とは全然違う仕事だと感じた。

 

この世の中にはハーフだったり海外大学卒業者だったり、私と同じ日本語を話しながらも最初から海外で通用するスーパーマンのような人たちがいるのは確かだ。

 

SNSではそんな人達の声が大きいから、誰でもできるような気がするけど、

 

今となってはそれは野球をやればみんなイチローになれて金持ちになれるんだよ。

 

なんて言葉と同じくらい暴論な気がする。

 

私のような普通に日本の大学を出て一年程度の海外経験で文系の大学卒業者ならば、

現地で貧乏になったり、駐在員のような日本人に劣等感を感じないで生きていくには、

やはり現地でいい仕事を得るために二、三年の日本での社会人経験は必要だったのかもしれないなー、というのが社会人一年と四ヶ月を終えてしまった私なりの精一杯の感想だ。

 

結局語学で無敵で超カッケー自分にはなれず、

日系企業に沈んだ私の本音はこんな感じ。

 

かっこわるいし、理想とは全然違う毎日だけど、海外が好きで行きたくて仕方がない国があってそれでも国内に甘んじてる人間がどんな風に感じながら働いてるのかについて書いてみました。

 

それでは今日はこの辺で。

お月様以外も欲しい。

 

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中国語を勉強し始めたばかりのころよく中国の人権問題を取り扱ったドキュメンタリー番組を見ていた。

 

たくさんの悲惨な映像や証言の中に特別心に残ってる場面がある。

 

ある日突然政治犯として囚われてしまった男とその妻の証言だ。

 

十数年という長い月日を引き裂かれて過ごした夫婦の妻は、涙ながらに吐き出すように言った。

 

「あの、地獄の生活で主人がどこにいるのか生きているのかもわからない日々の中で私たち二人で一緒に眺めることができたのは月だけよ。

月を見てる時だけ二人一緒にいられたのよ」

 

その時はなんで詩的で素晴らしい表現だろう、と呑気に聞き流していたけど、

まさか数年が自分の身に突き刺さってくるとは思わなかった。

 

私と、私の恋人のケビンはもう一年半以上引き裂かれたままだ。

 

いつも四角い画面の中いっぱいに顔を映して、

少しでもこちらに近づくように画面に精いっぱい顔をくっつけるように話す陽気でかわいい私の世界で一番大事な存在は、3月18日の香港の入国制限、そしてそれに続く日本政府の入国制限で画面の中から出て来られなくなってしまった。

 

最初の1ヶ月は、何も悲観しなかった。

すぐに国境は開き笑い話にできると思ってた。

次の1ヶ月も楽観的に構えてた。

3ヶ月目になって突然涙が止まらなくなった。

 

よくミステリードラマで、犯人が何回も息継ぎをさせながら被害者を溺死させる場面がある。

 

私は、この一年半かすかな希望に息をついで、

次の日にはまた絶望の黒い水の中に顔を押し付けられて呼吸を奪われる。

 

そんな毎日を過ごしてきた。

 

1分、1秒と無意味に過ぎ去る時間を、

この地獄が過ぎ去るのを待つしかない私は「今日も再会できるのに近付けた」と喜ぶ工夫もしたけど、

 

心の奥底で、そんな自分を空虚なピエロだと思ってた。

 

何回もまんまるお月様とガリガリに痩せ細った新月を見送り、時間の流れを噛み締めた。

 

たとえどんなに科学技術や通信技術が発達したとはいえ、今の私たちにはそんな技術を介さなければ世界で一番大切な人と同じ景色や色を共有できないことが悲しくて虚しくて悔しくて仕方がなかった。

 

あの時の夫婦と同じように、今私たちが科学技術を借りずに一緒の時間に同じものが見れるのは、お月様を眺めている時だけだった。

 

月日が経つにつれて、私は一つずつ忘れていった。

 

一緒に食べた難しい漢字が並んでた料理の名前を忘れてしまった。

 

もう一度会えた時に最初に一緒に食べようって言ってた料理だったのに。

 

プニプニの手の柔らかさと大きさと、温もりを忘れた。

 

忘れないように眠る前に握る真似をして眠りについていたのに。

 

彼の匂いが染み込んだ毛布を洗った日はコインランドリーでいつまでもうずくまって泣いた。

 

 

あんまりじゃないか。

 

 

グローバルってなんだったの?

国際化ってなんだったの?

 

キラキラしたキャッチコピーやポスターや教育者の言葉に誘われて「これからは世界の時代だ」って言ったじゃないか。

 

貴方達偉い人が掛けて歩くように促した橋を渡った私は、その橋の先でやっと自分にピッタリな片割れを見つけたのに。

 

彼に出会って私は1億2000万人の孤独の海の中から出て、やっと息ができた気がしたのに。

 

いつも気が強くて、

言葉がきつくて、

せっかちで、

 

どうしようもない私を、呆れるほどの能天気さとくりくりの目にうつして大きく笑った。

 

彼といれば私は、怒りの感情や、爆発しそうな衝動を蒸発させて、彼とおんなじように呑気で優しくいられるのに。

 

怒って喚き立てる私に、

 

「そんなに一生懸命たくさん話してくれてありがとう。」

 

って受け入れてくれる人、私はもう見つけられないよ。

 

世界に掛けられた橋を何度だって往復して、自分のためにも日本のためにも一生懸命限界まで働いて、壮大な話でも両地を繋いでいくために、次の世代のためにその橋を補強できるように頑張ろうと思ってた。

 

それなのに、突然橋は壊されて、

私は一瞬にして最も大切な片割れに夢の中でしか会えなくなってしまった。

 

何回も何回も後悔した。

 

あの時めんどくさくて、コンビニに行ってる彼をホテルの部屋で待ってた時ついていけばよかった。

 

あの時喧嘩したけど、もっと楽しく陽気な思い出を増やしておけばよかった。

 

就職しないで香港の大学院に進学すればよかった。

 

ワーキングホリデーのビザを取ればよかった。

 

泣きながら何度でも大きな声で返してくれよと絶叫した夜があった。

 

次の日会社に行って幸せ新婚家族の週末のお話を聞いて、そこらじゅうにあるものを投げ散らかして発狂したい気分にもなった。

 

羨ましくて狂いそうだった。

 

欲しいものなんてひとつもない。

 

元々あったのを返してくれるだけでいい。

 

私にあの温もりと、優しい手を返して欲しい。

 

四角の画面から彼を出して欲しい。

 

私たち、当然のように手を繋ぐ権利なんて意識するまでもなくあったはずでしょ。

 

1年半経った後も、私たちはずっと一緒にいる。

 

遠距離恋愛を始めた頃、「1ヶ月に一回でも悲しくて辛い」と泣き喚いた私なのに、1年半経ってもまだ彼と一緒に歩いていく未来を死守するために毎日なんとか踏みとどまってる。

 

たかが恋愛。

 

恋愛ごとき。

 

日本だけじゃなくて、このアジアにはまだまだ恋愛は浮ついたもので娯楽や贅沢品に該当すると考えている人は本当に多い。

 

それでも、この先どんな世の中に生きていくのかを考えたら、もっと人間を人間たらしめる感情を大切にしたいと思う。

 

人間から感情をとって何が残るのか。

 

感情的という言葉が悪い言葉として使われるようになって久しい。

 

でも、感情を抑圧して迎える未来は何?

自分の感情を殺して、

お家のために、

ご先祖さまのために、

国のために、

 

自分で人生の伴侶も選べない時代に戻りたいのか?

 

私は嫌だ。

 

外国人と恋愛するならその覚悟をしろ?

 

私たちは世界に向けて掛かっていた橋を渡り、そこで愛する人を見つけただけ。

 

そんなことを言う人は、橋を渡る時に自分の渡ってる途中で橋が壊れて自分が落ちても、

「そこまで考えて橋を渡らなかった自分が悪い」

と言えるのだろうか。

 

 

私はもう十分待った。

会えない時間を資源に本当にいろんなことを頑張ってきたしお金も貯めた。

 

そろそろお月様には飽きてきた。

黎明の頃、朝焼けが見たい。

 

他のものも、お互いの肉眼で同じ時に同じ空間で。

 

私は綺麗なバッドエンドも、

自己責任論の果てにある美しい諦めも拒絶する。

 

ここまで耐えてきた私も、他の人たちも全員幸せになる権利があり、そうなるように決まっている。

 

私には、彼とのハッピーエンドしかいらない。

 

代わりのものなんていらない。

新しいものなんてもっといらない。

 

だから、当たり前の温もりをこの手に返してくれよ、今すぐに。

ロシアの万年筆と大阪の街

 

先日、人事異動になった。

端的に言うと私はパワハラクソゴミ上司とその狗(イヌ)から華麗におさらばして、愉快なおっさん達のいる花形チームへの異動をかちこんだ。

 

発表を聞いた時は、ただ上の役職の人の電話だったから無礼のないように話すことしか頭になかったけど電話を切った途端その場に座り込んだ。

 

そして、そのまま動けなくなってしまった。

猛烈に頭が痛くなって目を閉じてそのまま耐えること30分。

 

なんとか立ち上がると、

それまで見えていた世界がガラリと変わって見えた。

 

今まで3色くらい見えていた世界が100色くらいの鮮やかな色使いに変わり、

立体的に見えるようになってきた。

 

見えるもの全部がそう言うふうに見えるから視界がくるくるする。

 

そして、シーンと静かになった。

 

終わった。

 

終わった。

 

終わった。

 

石の上にも三年、という諺を心の支えに、

後何年かはこのパワハラクソ上司の理不尽な行いや仕打ちに耐え抜く覚悟を決めて戦闘体制に入っていた私は突然の終戦宣言に文字通り頭も体もついていけていなかった。

 

「君、頑張ってたから。営業所のいろんな人が、君は十分頑張ってて君がどれだけ自分の力が及ばないところで理不尽を強いられてるのか教えてくれたから。

みんなみんな、君のこと本当に心配してたよ。

それで私のところまで声を上げてくれた人がたくさんいたこと忘れないで。

君の頑張りはみんな見てたよ。

次の部署、仕事の難易度も忙しさも上がると思うけど、君なら大丈夫。

理不尽とか不公平な人間関係に耐え抜いたこの一年の方がよっぽど辛かったと思う。

存分に力と個性を発揮できる君を見ること楽しみにしてるからね」

 

そう言われた言葉が頭の中をくるくる回って何もできなかった。

 

映画、ショーシャンクの空で釈放された囚人が自由な身になったものの何をすればいいのかわからなかったように私は何もできないし言えなかったのだ。

 

地下鉄に乗り込んで駅一つ一つにワクワクした。

 

今までは死んだ顔でただ家に着くのを、会社の最寄りに着くのを待つだけの地下鉄が、一つ一つの駅で降りたいくらいにワクワクする時間に変わった。

 

嬉しくて嬉しくてホッとして帰りの地下鉄でポロポロ涙が止まらなかった。

 

ああ私は一年もこんな綺麗で楽しくて面白そうな街に居たのに、

毎日やり過ごしてなんとか生き抜くのに夢中になるしかなくて。

 

何にも感じなくて、

心が枯れ果てていたのだと思った。

 

そのまま家の最寄りで降りなかった。

 

梅田の街へと走った。

 

人の喧騒と、色とりどりの店を。

いつもは素通りするけど、一軒一軒見て行った。

 

どのお店にもキラキラするもの欲しいものはあって、すぐに財布の中の現金は尽きた。

 

そして、大きな本屋の中の万年筆専門店でショーケースに入ったキラキラ光る魔法の杖のような不思議な万年筆を見つけた。

 

パワハラ生活の時、お金だけは貯まるのに必死で週の生活費を切り詰めて、食費を切り詰めて。

 

上司と同じように自分が自分を追い込んでしまっていたのだと思った。

 

このキラキラした万年筆だって、もしも私が昨日までの私なら視界も入らずにモノクロな世界の端っこの方を気がつかれることなく通り過ぎていったのだろう。

 

そんなことを思っていたら、自然に高級万年筆の店員さんを捕まえて欲しい万年筆を全部ショーケースから出してもらった。

 

高い万年筆の試し書きを一筆一筆これまた高級そうな紙に連ねていくたびに自分が人間に戻っていく気がした。

 

そして、この日私は一目惚れした宝石のような万年筆を一本買い上げた。

自分が自分に勝手に課していた過酷な生活費二週間分くらいのお金が一瞬でレジのキャッシャーの中に消えていった。

 

でも、本当に私は幸せで幸せで仕方がなかった。

 

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ロシアのメーカーの万年筆で日本ではまだ珍しいらしい。

一本一本手作りでラメの入り方やグラデーションが違ってこの世界のどこにも同じものがないという。

 

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万年筆は家に帰っても私の手元の中でキラキラキラキラと輝いた。

 

さらに、夜電気を消すとコバルトブルーに光り輝いた。

 

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文字通り贅沢品。

 

そんなものを手にして私はようやく、

あの地獄のような日々から抜け出すことができたのだと幸せがとめどなく溢れ出した。

 

いつまでもいつまでも。

好きな歌の歌詞を一つ一つを書き連ねながら一人で幸せを噛み締めながら泣き続けた。

 

和田アキコの、あの鐘を鳴らすのはあなた

橘いずみの、window

安全地帯の、恋の予感

 

 

さわやかな希望の匂いが今日の私には満ちていた。

 

この先、自分の人生がどんどん良くなるようにワクワクする。

自分の人生の幸せを信じられる心が戻ってくる。

 

私の人生の夜明け、黎明期。

それが今なのだと。

 

やっと落ち着いてこれを書いてる私の横でも、

ロシアから私の世界と手元に飛び込んできた舶来物の万年筆はキラキラと輝いている。

 

この電気を消した時にコバルトブルーに輝くために光をその身に蓄えながら。

 

 

 

 

 

死の誘惑

 

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毎日1日の終わりに考えることは、

今日も何一つとしていいことなんてなかった。ということ。

 

そして、こんなことなら昨日死んでおけばよかったと後悔するのだ。

 

死にたい。

 

死にたい。

 

死んじゃいたい。

 

私は毎日疲れ果てて、ボロボロになって。

 

今香港や中国に行くには仕事をやめなければいけない。

 

仕事を辞めて行ったところで、あっちに仕事があるわけではない。

 

これまでの人生で、私はいつも根無草だ。

 

どこにいても、いつであっても居場所のなさを感じていた。

今も会社に居場所なんてない。

 

周りの人間が馴れ合いで仕事をしていて、

私より年齢が上の女が「まだ若手なんだからー」で許されてる横で、1人でその女の3.4倍は働いている。

 

無論、助けてくれる人なんて1人もいないし、いつもいつも明日が嫌で嫌で仕方がない。

 

いつも頭の中では中国の生活のことや香港にいる恋人のことを考える。

 

日本に一億二千万人いるのに。

日本だって十分広いのに、

なんで私はこの国に居場所を見つけられなかったんだろう。

やっぱり出来損ないだったかなあ。

 

上まで登れば、居場所も見つかると思ってがむしゃらに就活して、地上波にCMを何本も売ってるような企業に入社してみたけど、居場所が見つかるどころか、今度はその仕事に縛られて自由ばかりが吸い取られて奪われていく気がする。

 

高校、大学、就職活動。

 

日本社会で大勝利とまでは行かずとも、合格点は叩き出してきたつもりだったのに。

 

なんでこんなに1人で、こんなに居場所がなくて、こんなに死にたいんだ。

 

このままじゃどこにも行けない。

このままここにいても、生き地獄は続いていく。

 

でも、ここから降りていますが何もかも投げ捨てて香港に行く術もビザもないし、もしもあったとしてもその先にあるのは私が最も見下して軽蔑してきた二流三流の負け組人生だけだ。

 

そんな人生、私は受け入れられないしそんな生き恥を晒しながら生きていくくらいなら死んだ方がマシ。

 

私は、負けたら死ぬしかないという覚悟でこれまでの人生を戦ってきたのだから。

 

だから、負けを認めて降りた時点で、私に残ってる選択肢は死ぬことだけなのだ。

 

そうだ、死んで仕舞えばいいのだ。

 

死ねばこうやってコロナや政策に振り回されてみっともなく大事なものを奪われて泣き叫ぶ必要なんてないし、明日仕事に行く必要もない。

 

一瞬だよ。

やってしまいなよ。

 

通勤電車を待つ地下鉄のホームで、あと2.3歩踏み出せば。

 

時速120kmで駆け抜ける高速道路でもう少しだけスピードを上げて目を閉じて壁に突入して仕舞えば。

 

生活圏内にあるあらゆる死の可能性が抱き締めるように優しく温かく私の手を引いていこうとする。

 

私をこの世に繋ぎ止める希望とか未来とか夢とか。

 

そういうNHKが好きそうな物が、時間と共に薄れて消えていく。

 

天秤に死ぬメリットと生きるメリットを載せたら、今の私なら確実に死ぬメリットが勝ってしまう。

 

生きる道がないのだ。

 

生きる意味がない人生。

 

こんな酷い結末のために、私は25年間戦ってきたのか。

 

いつまで勝てるのか、死の誘惑に。

 

今もこれを書いてるお風呂場で、ハイターの混ぜるな危険の文字がゆっくりと私に手招きしてるのだ。

 

死んでいく者と生きていく者。

 

圧倒的に生きていく者だったはずの私は、

いまは限りなく死んでいく者の側に立ち尽くしている。

 

なんでも持ってる。

 

仕事があるだけマシだ。

恋人がいないよりいる方がいいじゃないか。

 

そんな気休めはいらない。

 

今の仕事も生活も私が自分自身で勝ち取ったものだ。当然の結果じゃないか。

 

会いたい人がいるのに会えないのと会いたい人がいない人はそもそも二種類の人間で同じ軸で語るべきではないだろう。そこに優劣も何も存在しない。圧倒的に違うという事実が横たわっているだけなのだから。

 

この一年間本当に頑張った。

 

こんな地獄で仕事を回しながらも、中国政府の奨学金の条件のHSK6級の規定のスコアだって死に物狂いで自習室に通いながら習得した。

 

これ以上、何を頑張ればいいのか。

 

全速力の人生に向き合う熱量も気力も生命ももうずっと前に終わった。

 

気安く、もう楽になっていいよ。

降りてもいいよ。

 

と、今まで私を散々鼓舞して競争社会にぶち込んできた周囲の人間が言う。

 

そうか、私はもう終わってるのか。

 

もう戦力外なのか。

 

死ぬよりはマシだから、競争社会から降りていいのか。

 

死ぬよりはマシだから。

 

今死にたい。

 

今すぐ死にたい。

 

私は、降りた後の人生を生きていく自信はない。

 

金持ちの実家で、病人のような扱いを受けて人生の夢や目標を失った廃人になる勇気はまだない。

 

かといって、

 

苦しみと痛みしかない明日に立ち向かい続ける勇気も持ち合わせていない。

 

死、のみが救いであり、救済なのだ。

 

今の私にとっては死は甘くて優しくて安らかな希望だ。

 

明日私が死んでも、明後日死んでも大して変わらないのに。

 

涙が止まらず、いつ死の手をとって歩いてしまうかわからない自分をなんとか生命に繋ぎ止めてなんとかやりぬいてる。

 

それだけの話だ。

 

ここまで、追い詰められて

死にたい私なんてレアだから。

珍しいんだから見せ物にでもしないと損だから残しておきたくて今日これを書いた。

 

これからどうするのかはまだ決められていない。

深夜スーパーマーケット

私の暮らす街は変な街だ。

 

表通りに予備校や塾がひしめき合い、我が子を有名小学校ないし中学校にぶち込むために、ハイヒールにイヤリングをつけた金持ちマダムが血眼になって高級車で送り迎えを繰り返す光景が毎夜繰り返される。

 

ともすれば、心許ない能力とやさぐれ切った精神状態で人生1番の大勝負を目の前に憔悴し切った予備校生が亡霊のように歩き回る。

 

そこから一本入ると大阪で3本の指に入るラブホ街が広がっている。

 

ラブホといえば人目を偲んだ不倫カップルの逢瀬を想像するものの、その実ホテヘル嬢が仕事場に使ってることの方が多いと、暇そうにラブホの前で暇を潰すドライバーが教えてくれた。

 

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どう見てもヴィヴィアンウェストウッドにしか見えないロゴが今日も高い場所でキラキラしてるこの街は私にとって大阪で唯一安らげる場所だ。

 

会社から電車で一本。

ドアからドアまでだいたい30分でつけるけど、

私の心の中で会社とこの街は新幹線で4時間くらい離れてる。

 

新型コロナが始まって以降私の生活は地獄になった。

 

過食が止まらず、体重は10キロ以上増えてしまったし、精神的支柱を失い既にゾンビのような自分の中に残ってるありとあらゆるものをかき集めてまともな人間の型を作り上げて生活している。

 

だから、生活圏では毛布か服かの区別すらもはやつかない服を着て、路上に座り込んで無為に時が過ぎ去るのを待っている。

 

この地に根を張り生きていくつもりは毛頭ないし、楽しい瞬間なんてひとつもない。

 

今の私の身の上は懲役刑を宣告された囚人に等しい。

 

全くもってやる気は出ないし、出ないのに出してくるつもりもないからタチが悪いのだ。

 

それでも、そんなふうに完璧な廃人生活のサイクルを組み立ててみれば死にたくてのたうちまわりながらも呆気なく日々は過ぎ去っていく。

 

ただ、流石に体重の増加が見過ごせない域まできてしまったので、コンビニやマックで買って食べるのだけはやめるべく、近所のスーパーに通うようになった。

 

ラブホ街から近いくせに、私の家から一番近いスーパーは結構お高めの阪急系列のスーパーだ。

 

さすがは塾に送り迎えに来るマダムの御用達のスーパーだけあって輸入食材や、名前を見てもパッと分からないようなハイソな品揃え。

値段も高いながら、今の私はゾンビなので、更に自転車を超えて激安スーパー玉出まで足を伸ばす元気も気力もないのだ。

 

そんなわけで、毎週金曜日の閉店時間ギリギリにこのスーパーに滑り込んで一週間分の食料を調達することが私の新しい習慣として息づいた。

 

ぼんやりと人が少ないスーパーをカゴ片手に徘徊して安売りの野菜や豆腐を片っ端からカゴに放り込んでいく。

 

何に使うかは考えない。

 

帰った後に考えればいいし、最悪火を通せば食べられるのだから。

 

ぼんやりとレジに並ぶと、今日のレジの係のおばさんは研修中という肌をデカデカと掲げている、白髪混じりのポニーテール。

 

レジにはアクリル板が張り巡らされ、

一寸の飛沫すら許すまじという強い意志が感じられた。

 

もう、そのアクリル板に思うことなんてなかった。

 

新型コロナウィルスが始まって一年。

こんな笑えない一周年なんてないけど、

ひとつ一つの変化に憤ったり悲しんだりする気力はとうの昔に尽き果てた。

 

そのおばさんは、レジが非常に下手だった。

 

焦って焦って、私がオレンジを10個買ったと入力して更に焦りを加速させた。

 

「ゆっくり大丈夫ですよ。私全然急いでないです」

 

ゾンビの私が人のかたちをとって、話しかけた。

 

実際金曜の夜9時。

私には悲しいほど何もなかった。

 

「ええ、ありがとうございます。

申し訳ございません。」

 

「いえいえ」

 

ピッピっと機械音が順調に鳴り響き、

おばさんは本調子を取り戻す。

 

全ての商品がレジを通り抜けて、私がお金をお釣りを載せるトレイは乗せて、ジャラジャラとレジがお金とレシートを吐き出した。

 

おばさんは、そのお金を手に取ってお札の上にレシート。

レシートの上に小銭を乗せて私に手渡した。

 

手渡した瞬間、おばさんは「やってしまった」という顔をした。

 

「すみませ…」

 

「いいんですよ!いいです!最高ですよ!」

 

私は咄嗟におばさんのすみませんを打ち消した。

 

「この方がいいんですから。私この方が好きですから」

 

意味がわからないけど泣きそうだった。

 

毎日毎日コンビニで薬局で、スーパーで、くるくるとトレイが私と店員の間を行ったり来たり。

 

トレイに置いてある小銭をかき集めてお財布に戻す時間。

 

あれが私は嫌で、悲しくて仕方がなかったのだと強烈に自覚した。

 

それは別にレジのおつりだけじゃなくて、

短くなった郵便局の営業時間とか、

取引先の面談室にあるパーテーションとか、

デパートの前で通せんぼしてくる消毒液とか、

 

小さな小さな変化の全て。

 

当たり前にあった全てをひとつひとつ気づかれないうちに信じられないほどのたくさんのものを変えられてしまったのだと分かった。

 

私がものすごい勢いで一方的に弁護してしまったからおばさんもなんだか訳がわからなくなってしまったようで。

 

「そうよね…。私前もスーパーでパートしてたんやけど、こんなんかなわへんわ。

お客様だってややこしいと思うねんけどなあ…」

 

「そうですよね!」

 

おばさんが笑った。

私も笑った。

 

手渡しされた小銭は、お札とレシートと傾けるとするすると財布に流れ込んでいった。

 

大量の食品を買い込んだ私のカゴを袋詰めのコーナーまで持っていくのをおばさんは手伝ってくれた。

 

たくさんの食品を詰めたマイバックを片手に外に出た。

 

もうずっと飛行機が往来するのを見つけられない空っぽの夜空を見上げて、いつまでも涙が止まらなかった。

 

ふざけんな。

 

ふざけんな。

 

何回でも口の中で繰り返す。

 

 

忘れてはダメだ。

 

気がつかないうちに奪われたもの。

変えられたことが沢山沢山あったのだ。

 

ちきしょう。

 

ちきしょう。

 

こんちきしょう。

 

ギラギラ輝くラブホのヴィヴィアンウェストウッドもどきだけがこの街で輝いていた。

 

新年とHSK

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年末は熊本に帰っていた。

またかとなるかもしれないけれど、1人ではやりきれなかった。

 

もう何もかも疲れ果てて、呆然と右肩上がりの感染者数に耳を傾けた。

 

涙が溢れて溢れて、自分の中の何かが日々壊れていくのを感じている。

 

結局心休まらずそのまま正月休暇は終わり、会社のある大阪に戻った。

 

帰ってきたら近所に、甘粛牛肉麺の店を見つけた。

 

ふらりふらりと引き寄せられるようにその店に入ると、懐かしくて愛しくて会いたくてたまらない中国独特の香辛料の匂いが鼻に飛び込んできた。

 

それだけでもう泣いてしまいそうだった。

 

出てきたラーメンは中国で食べたものと全然変わらない、素敵な味で私は一瞬だけこの世の中にある憂鬱な全てのことを忘れた。

 

無我夢中でラーメンを口に運んだ。

 

中国にいたときにあった無尽蔵なパワーのほんの一欠片だけ燃え滓のようになった残骸が少しだけ光った気がした。

 

結局、2020は最後までゴミのように終わった。

2021年にもいまだ居座ってる。

図々しく居座る存在にいい加減にしろと叫ぶ気力さえもうない。

 

それでも、今年は泣いても笑っても私が日本で過ごす最後の一年だから1日1日を大切に生きていきたい。

 

とりあえず、私のMBAに向けた検定乱れ受けが始まる。

 

第1発目はあと24日後に迫ったHSKだ。

 

ここで前回同程度の200点前後をマークして、3月には240点を決めたい。

 

ここから先はノンストップ。

 

人生最後の日本生活。

 

泣くか笑うか、って言うけど、絶対笑って笑って幸せだけで彩りたいからとろけるように幸せな瞬間がたくさん用意されてると私は信じて進みたい。

 

 

いいところ、悪いところ

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中華圏への移民を掲げながらも、その実仕事の愚痴とかそんな日々のことしか書けていない。

 

それでも、今日感じたこととか今の自分が思っていることをつらつら書き連ねていきたいから。

今の自分を残しておきたいから、やはり悪いことや今のマイナスな感情も書き残していきたいと思う。

 

今日は水曜日。

 

苦手な上司との同行で、私は昨日の夜から結構ブルーだった。

 

それでも結構遠いところまで行かなければいけなくて、私は車の中で上司と二人で何かを話さなければいけなかった。

 

取り止めもない話をした。

 

とにかく機嫌良くしていて欲しい。

 

そんな一心だったけど、今日はやけくそで、

自分の思ってるかわいいだけの社員への不満をぶちまけてみたところこれが大いに受けた。

 

そして、上司は今まで見たことないような柔らかい表情で過去の自分がやらかしたことなんかを話してくれたけど、

その内容は今までの空虚な自慢話よりも素直に面白かった。

 

この上司を心から尊敬できるようになることは多分ない。

 

いろんな最低なことをやっている噂を聞いてるし、

この人のパワハラのせいで何人もの若手が心を壊して会社を去った。

 

それでも私は、必ず後一年4ヶ月はここにしがみつかなければいけない理由がある。

 

でも、今日朗らかな顔で楽しそうに自慢話でも説教でもないことを話す上司の姿を見れて良かったと思う。

 

この人にこんな顔があるとわかっただけでも明日からこの上司とどう向き合っていくのかを考えていく糧になる。

 

一週間で1番憂鬱だった今日は意外なほどに穏やかに過ぎ去った。

 

明日はもう木曜日。

 

希望のない毎日でも、また明日からも耐え抜いて生きていかないといけないね。

 

そしてこのブログにも少しずつ中華圏への移民についてしっかり書いて記録していきたいと思う。